熱海市内の有志でつくる「熱海くすのきの会」(加藤寿美枝代表)は13日、起雲閣で第2回「福島県震災孤児チャリティー支援講演会」を開いた。仏教の法相宗管長で薬師寺管主(75)が、東大寺で奈良時代の752年から休まず続く「お水取り」(修二会)を紹介し、「よりどころとは、自分がこれまでやってきたことを最後までやること」と90分に渡って語った。
古代文字墨アーティスト村山朝偉氏による墨絵パフォーマンスもあり、特大絹地に「笑」を書き上げた。チャリティーグッズ抽選販売会では、作家森村誠一さん、スピリチュアルカウンセラー江原啓之さん、小説家で音楽家町田康さんら熱海に縁のある文化人をはじめ、中村獅童さん、中村勘九郎さん、宮本亜門さんなど著名人17人が出展。入場料やグッズ販売による収益は「ふくしまこども寄附金」として、全額を福島県の子供たちの支援に寄せられる。
山田法胤薬師寺管主の講演趣旨
【修二会(しゅにえ)と悔恨(かいこん)】
大仏さんがある奈良の東大寺の二月堂で「お水取り」という行事が行われています。正式名は「修ニ会(しゅにえ)」。3月1日から本行が始まり、あす14日まで続きます。11人の「連行衆」に選ばれたお坊さんが毎夜高さおよそ6メートルの巨大松明に火をともし、深夜まで祈りをささげる。12日深夜には籠松明がたかれ、二月堂の下の若狭井に水をくみに行く。これがお水取りと呼ばれる由縁です。満業直前の14日には、燃え盛る10本の松明が欄干に掲げられ、振り落ちる火の粉が無病息災をもたらすと言われ、たくさんの参拝客が集まる。
奈良のお寺は檀家がない。葬式もしない。亡くなった人を救うのではなく、今生きている人を救済するからです。人間、知らず知らずに過ちを犯してしまう。それを人々に代わってほとんど寝ないで二月堂にこもり、苦行を引き受けて懺悔(ざんげ)し、天下泰平や五穀豊穣、無病息災を祈る。その時、唱えるお経を「悔過(けか)」。これが修ニ会。
東大寺さんは奈良時代の752年から火事があっても、戦争中も続け、今回が1265回目。薬師寺でも3月25日から31日まで、「薬師悔過」を開きます。ちょうど春休みの時期で中高生の青年衆も泊まり込みでいらっしゃる。唱えるお経は独特の節回し。音楽的で幽玄な響きがある。そこに鐘をつき、太鼓が鳴り、ホラ貝を吹く。沓音が聞こえ、オーケストラのようでみんな驚いて帰る。熱海の皆さんも一度いらしてください。
【自依(じえ)】
一昨日、震災から5年目を迎える石巻市をはじめ、津波で74人が死亡した大川小学校のあった塩釜市へ行ってきた。福島県の浪江町へも伺ったが、中に入れてもらえなかった。福島はまだまだ課題が残っている。
今日はお釈迦様の話を通して「よりどころ」について考えたい。お釈迦様が亡くなる前、お弟子さんたちは困り果てた。阿難という弟子が「私たちはまださとりを開いていない、これから何をよりどころにすればいいのか」と。お釈迦様はこう言うんですね。「肉体あるもの必ず滅びるのだから、私を頼るな。自分を頼れと―」。自分を頼りにするとは、長く生きてきて「これなら自信がある」というものです。
僕が薬師寺の小僧になったのは、昭和31年、中学3年の3学期です。今年が申年だから60年前。ですから僕にとっては薬師寺でお経を読むことがよりどころです。ま、肩書きのあるときはいい。今は薬師寺の住職ですから。しかし、今年8月に住職を若い後進に譲り、ただの僧侶になる。かといってテニスも野球もできない。法話に行ってもこんなに集まってくれるか心配です。5、6人かもしれない。
ここで大事なのは「よりどころは何かの自覚」。あれだけ有名なバッターが、どこの球団からも監督、コーチにきてくれと要請がない。プライドがああいうところによりどころを求めてしまうと、清原のようなことになるのかなと…。
一方、ぶくぶく太り、ただのおっさんになった掛布。いろいろお金のことで失敗しているが、でも彼は認められ、阪神の2軍監督に就いた。二人の違いは「自分の人生のよりどころは野球以外にない」と自覚しているか否かにある。
老後のよりどころは定期預金、資産株と考えているお年寄りは多いが、日本銀行の黒田さんはマイナス金利に踏み切り、資産株だった東京電力の株も大変なことになっている。ペットもかわいいですが、よりどころにはなりません。
自分がやってきたことを最後までやること。それが本当のよりどころです。
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