国の文化審議会が、昨年11月に国指定の史跡記念物に登録するよう馳浩文部科学相に答申していた「江戸城石垣石丁場跡」を代表する熱海市下多賀の「中張窪(ちゅうばりくぼ)石丁場」が3月1日付けで正式登録された。徳川家康の命による江戸城改修の際に石垣用の石材を切り出した重要な遺跡。同様の作業場は下多賀をはじめ、伊東市宇佐美、神奈川県小田原市など約170カ所確認されているが、30カ所ある「中張窪石丁場」が、採石から搬出までの工程を把握できるほど保存状況が良好な点が評価された。大名や年代が克明に刻印された「標識石」が確認され、江戸時代初期の労働力の編成や諸大名の実態が分かる。江戸に近く海上運搬が可能だったこともあり、南熱海の硬質な安山岩が多用された。
熱海市の「中張窪石丁場遺跡を保存する会」(大石利雄会長)が案内看板を設置するなど長年にわたり保存に取り組んできた。
同じく国の登録記念物(公園、庭園その他の名勝地)に答申していた伊豆山権現(いずさんごんげん)と箱根権現を結ぶ二所詣(にしょもうで)の道として知られる「十国峠」(熱海市・函南町)も正式登録された。
◆十国峠(日金山)
熱海市と函南町にまたがる標高約770メートルの十国峠。古くから信仰の地で、中世以降は「伊豆山権現(いずさんごんげん)」と「箱根権現」を結ぶ二所詣(にしょもうで)の道として知られた。江戸時代後期に葛飾北斎や中山高揚らによって富士山や十国五島を見渡す展望地として絵画に描かれ、明治以降も太宰治の「富嶽百景」など多くの文学作品に登場する。
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