丹那神社奉賛会(田島秀雄会長、川瀬康敬事務局長)は4月1日、熱海市福道町の同神社で平成30年度の例祭を開き、東海道線丹那トンネルの工事(1918年3月~34年12月)で犠牲になった67人の霊を慰めた。来宮神社の雨宮盛克宮司が神事を執り行い、祝詞奏上などに続き、田島会長、久間章生元防衛長官(大臣)、齊藤栄市長、藤曲敬宏県議、竹部隆市議会副議長、奥田交治熱海署長、宮原智子JR東日本熱海駅長、宇田川秀明JR東海熱海駅長、尾崎匡伊豆箱根鉄道社長らが玉串を捧げた。工事着工から100年目の今年は約50人が参列した。
終了後、神社近くの慰霊碑前で参列者の代表が、熱海発展の基礎を作った同トンネルへの感謝と難工事を次世代に引き継ぐ決意を述べた。
地元の「大楠連」(待井裕晃代表)が神社周辺と梅園市道を2基の神輿で練った後、熱海駅前でも神輿渡御を行い、「熱海笛怜会」(西川正和会長)がお囃子で盛り上げた。会場では近隣の10町内会、子供会による焼きそば、綿菓子、甘酒、お汁粉、菓子などの無料配布もあり、大勢の参拝者で賑わった。
■工事着工から100年、熱海は飛躍的に発展
昭和9年(1934年)に丹那トンネルが開通するまで東海道本線は、現在の御殿場線を経由していた。同トンネルの開通で東海道本線のルートは「熱海―函南」経由となり、熱海は飛躍的に発展。完成には16年の歳月(1918年3月~34年12月)を費やした。開通時の延長は7804m。例祭は大崩落事故にちなみ、毎年4月の第1日曜日に斎行している。当初、国鉄関係者によって例祭が執り行われていたが、民営化の影響で中断。23年前から地域住民で作る奉賛会のもとで挙行されている。
(熱海ネット新聞・松本洋二)
■大崩壊事故 1921年(大正10)年4月1日、丹那トンネルの東口工事現場で起工以来最初の大崩壊事故が発生。坑口から300m(現在の熱海梅園内「香林亭」あたりの直下)の地点で長さ約70mにわたって崩壊。作業中の33名が生き埋めになり、8日後に奇跡的に救出された17名を除く16名の命が奪われた。1924年(大正13)年の湧水事故や1930(昭和5)年の北伊豆地震による崩壊事故、その他の事故の犠牲者も含め、計67名が工事中に殉職。
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