感謝祭に続いて4月5日、第47回「丹那トンネル殉職者慰霊式」(立正佼成会熱海教会=福本昌宏教会長、明るい社会づくり運動熱海・伊東地区協議会=加藤則夫理事主催)が熱海市梅園町の丹那トンネル殉職碑前で営まれ、トンネル工事で殉職した人たちの冥福を祈った。齊藤栄市長、藤曲敬宏県議、工事関係者ら約100人が参列したほか、会員たちが運営を支えた。参列者は丹那トンネル殉職者に哀悼の誠を捧げ、お清めの儀、奉献の儀に続いて黒須基裕熱海教会壮年部長が読経供養を行った。丹那トンネル67人、新丹那トンネル11人の殉職者の戒名が読み上げられ、全員で黙とう。加藤理事が謝辞を述べた。殉職者慰霊式は感謝祭の9年前から始まり、昭和53年から二部構成で実施している。
◆丹那トンネル 昭和9年に丹那トンネルが開通するまで東海道本線は、現在の御殿場線を経由していた。同トンネルの開通で東海道本線のルートは「熱海―函南」経由となり、熱海は飛躍的に発展。完成には16年の歳月(1918年3月~34年12月)を費やし、延べ250万人が工事に従事した。開通時の延長は7804m。
◆大崩壊事故 1921(大正10)年4月1日、丹那トンネルの東口工事現場で起工以来最初の大崩壊事故が発生。坑口から300m(現在の熱海梅園内「香林亭」あたりの直下)の地点で長さ約70mにわたって崩壊。作業中の33名が生き埋めになり、8日後に奇跡的に救出された17名を除く16名の命が奪われた。1924(大正13)年の湧水事故や1930(昭和5)年の北伊豆地震による崩壊事故、その他の事故の犠牲者も含め、計67名が工事中に殉職。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。