熱海市上宿町の大乗寺で4月20日、熱海芸妓が芸事の稽古や宴席で壊れたり、使えなくなったりした三味線の糸やバチ(撥)、扇などを供養する「撥扇(はっせん)塚供養祭」が開かれた。大乗寺は熱海花柳界の始祖・故坂東三代吉師匠の菩提寺で、熱海芸妓置屋連合組合(西川千鶴子組合長)が1992年から毎年この時期に開き、三代吉師匠を供養するとともに、日頃、熱海芸妓が指導を受けている芸事の師匠方や道具に感謝する。
■芸妓を代表して一代さんが祭文
土屋貫諦大乗寺副住職、須藤充康上人(慶音寺)による読経と祈祷に続いて、芸妓を代表して一代(篠沢里々)さんが「芸事や宴席に欠かすことのできない三味線や太鼓などの道具は心を込めて大事にしておりますが、長い間には壊れ、使えなくなるものもあります。本日はこれらの品に感謝するとともに、熱海が日本一の温泉観光地へますます発展しますよう、芸妓一同、芸の習得に精進することをお誓い申し上げます」と祭文を読み上げた。
■バチ、皮、糸など焚き上げて供養
その後、本堂横にある撥扇塚前で芸妓衆34人がこの一年で使えなくなった古扇や三味線のバチ、皮、糸、茶筅(せん)、傘などを火の中に次々にくべて焚き上げ、供養した。
(熱海ネット新聞・松本洋二)
■西川千鶴子組合長の話 今年もおたき上げを執り行うことができ、大乗寺にお休みになられている坂東三代吉師匠も喜んでおられると思います。撥扇塚の供養が終わると熱海芸妓が一年間の修練の成果を披露する「熱海をどり」(4月28、29日)。熱海芸妓一同、無事舞台を務められるよう祈念させていただきました。
■坂東三代吉(ばんどう・みよきち)本名・樋口ろく。幼年の頃から東京・小石川の「坂東美津江」の門に入り、遊芸一切の修練を積んだ。明治10年(1877年)、熱海草分けの遊芸師として熱海浜町に居住し、熱海で弟子をとり始めた。長唄は杵屋、踊りは坂東流で岩倉具視卿のお墨付きだったという。明治43年、岩倉具視公など当時の豪商、公爵、候爵ら48人が大乗寺の山門のところに三代吉師の等身大の功労記念碑を建立したが、消滅。平成4年(1992年)に熱海芸妓置屋連合組合が大乗寺に”撥扇塚”を建立した。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。