15年に渡り、市民に親しまれてきた中央町の「カフェ季の環」が来宮神社近くに移転し、新年3月に野菜がおいしいダイニング&カフェとして新たに開店する。現在の店での営業最終日となった12月28日、店主の富田榮仁さんを訪ねると、店舗を離れ、あたみ桜が咲き始めた糸川遊歩道のブーゲンビリアの古木の前にいた。視線の先には、無造作に切り落とされた枝、枝、切り株。仕事納めを前に市がバッサリ剪定したらしい。
糸川遊歩道には、およそ40本のブーゲンビリアが植栽されている。毎年5月から12月にかけて赤や赤紫(マゼンタ)、ピンク系の花が川を覆うように彩り、観光客にも人気が高い。5月に咲いた花は、6月いっぱい花を咲かせ、夏を挟んで9月と11月にも繰り返し咲く。赤紫は一年中咲いている。糸川の主役ともいえるあたみ桜は開花期が1月~2月上旬に限られる。それを思うと、ブーゲンビリアの貢献度は勝るとも劣らないのだが、市の扱いには格差を感じる。
糸川のブーゲンビリアは2004年に開催された「熱海花の博覧会」に合わせ、ベルばら店主の西部愼介さん、サンマリノ店主の栗嶋勇雄さんなど地元の人たちから、ブーゲンビリアを増やして熱海の名所にしたいので協力してほしい、との相談があり、近隣町内会の総意で植栽した経緯がある。
◆熱海ブーゲンビリアの会・富田榮仁会長の話 糸川には桜橋の上と下側に大きく育った樹齢30年くらいの赤色と紫系の2本のブーゲンビリアがあった。赤い花は元気の出る色で、熱海にふさわしい花の色。そこで花博を前に、地元の人たちから「ブーゲンビリアを川沿いに増やして名所にしたので協力してほしい」と相談されて計画したものです。
花木は人によって好き嫌いがあり、その時代の力関係で植え替えられてしまう。人間のエゴに翻弄される植物。糸川も例外でないことを認識しながら、まずは他の花と調和が図れ、市民に賛同される花はブーゲンビリアでいいのか、成功させられかを調べてみた。
伊豆山、旧市内、上多賀、下多賀、網代まで各家庭のブーゲンビリアを見て回り、マップに落とし込んだ。当時、市内の家庭で112カ所が確認され、とりわけ上多賀地区では、各家庭が競うように大きく育てていた。東海道線より下側ならよく育つことも分かった。花に詳しい造園業の多田さんがメンバーにいて、ブーゲンビリアは、この辺が北限で熱海らしい暖かさをアピールできる花、というお墨付きも得た。
所属していたNPO法人ステップの会のメンバー、近隣町内会長とも相談し、花博は数カ月で終わってしまうが、その後も熱海市の中心部に観光客や市民が一年中楽しめる花の名所をつくろう、ということになり、会員や市民有志から寄付を募って植栽したのです。
当初、川の両サイドに各40鉢のブーゲンビリアを植え込み、一時は120本まで数を増やし、ブーゲンビリア通りになった。しかし、09年から3カ年かけて市が遊歩道沿いをあたみ桜に統一する整備を行い、ブーゲンビリアは移植を余儀なくされたり、伐採されたりして現在残っているのがおよそ40本。当初からあった赤色のブーゲンビリアも伐採された。今回、切り落とされたのは唯一残っていた40年前からあった原木。富田さんは「糸川のブーゲンビリアのシンボルともいえる木で、地元の人たちから受け継ぎ、次世代に引き継いでもらう思い入れのある木。できれば、事前に相談してほしかった」と残念がる。
市の担当部所に話を聞いたが、納得のいく説明は得られなかったという。この日が現店舗の最後の日となったこともあり、無念さをにじませた。
花の街を標榜する熱海市だけに、胸を痛めている市民は少なくない。
(熱海ネット新聞・松本洋二)
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