
「家康来熱400年委員会」(二見康一委員長)は3日、糸川にかかる御成橋の「橋洗い」を行った。東照公記には、家康公は慶長9年(1604年)3月3日に湯治のため熱海温泉を訪れたとあり、その史実をもとに同委員会は06年から毎年この日に橋の清掃をしている。家康公没後400年のメモリアルイヤーとなった今年は熱海ワイズメンズクラブのメンバーや友楽町町内会(津田博之会長)など糸川周辺の4町内会の計15人が参加。御成橋とドラゴン橋の欄干を磨き、あたみ桜が見頃過ぎを迎えた遊歩道を掃き清めた。
「御成橋」の名は、家康公が熱海に御成りになったことに由来しており、橋には家康公が詠んだとされる「春の夜の夢さへ波の枕哉(かな)」の句が刻まれている。
◇徳川家康と熱海温泉 東照公記によれば、慶長9年(1604年)3月、家康公は2人の子供、義直、頼宣を連れて熱海に7日間滞在、逗留した。同年9月、京都で病気療養中の吉川広家の見舞いに熱海の湯を運ばせたり、幕府直轄領にするなど熱海をこよなく愛した。
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