
熱海芸妓が一年間の修練の成果を披露する「熱海をどり」(4月28、29日)を前に熱海芸妓置屋連合組合(西川千鶴子組合長)は4月20日、熱海花柳界の始祖・故坂東三代吉師匠の菩提寺・大乗寺(市内上宿町)で「撥扇(はっせん)塚供養祭」を開いた。
同供養祭は芸事に欠かせない道具を供養するとともに、日頃、熱海芸妓が指導を受けている芸事の師匠方に感謝するもので、1992年から毎年この時期に実施している。
土屋貫栄住職、土屋貫諦副住職による読経と祈祷に続いて、芸妓を代表して初文(安藤和代)さんが「芸事や宴席に欠かすことのできない三味線や太鼓などの道具は心を込めて大事にしておりますが、長い間には壊れ、使えなくなるものもあります。本日はこれらの品に感謝するとともに、熱海が日本一の温泉観光地へますます発展しますよう、芸妓一同、芸の習得に精進することをお誓い申し上げます」と祭文を読み上げた。
その後、本堂横にある撥扇塚前で芸妓衆30人がこの一年で使えなくなった古扇や三味線のバチ、皮、糸、茶筅(せん)、傘などを火の中に次々にくべて焚き上げ、供養した。
◆坂東三代吉(ばんどう・みよきち)本名・樋口ろく。幼年の頃から東京・小石川の「坂東美津江」の門に入り、遊芸一切の修練を積んだ。明治10年(1877年)、熱海草分けの遊芸師として熱海浜町に居住し、熱海で弟子をとり始めた。長唄は杵屋、踊りは坂東流で岩倉具視卿のお墨付きだったという。明治43年、当時の豪商、公爵、候爵らが大乗寺の山門のところに三代吉師の等身大の功労記念碑を建立したが、消滅。平成4年(1992年)に熱海芸妓置屋連合組合が大乗寺に”撥扇塚”を建立した。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。