
江戸時代、漁民の生活を守るために立ちあがった義人、釜鳴屋平七をしのぶ供養祭が命日の4日、熱海市のムーンテラスの平七記念像前で3年ぶりに行われた。山田芳和実行委員長の挨拶のあと、来賓を代表して斉藤栄市長、橋本一実県議が挨拶、参列者が献花した。
今年は没後150年の節目にあたることから、市民有志が実行委員会をつくり、3年ぶりに平七記念像前での供養祭を復活させた。市民や平七の子孫ら約50人が参列して献花を行い、平七の遺徳をしのんだ。
熱海銀座通りにある「釜鶴」は、釜鳴屋平七の三男が興した老舗のひもの店。この日は平七から数えて6代目の子孫・二見雄三さんも家族とともに参列、遺族代表として御礼の言葉を述べた。
◆釜鳴屋平七 江戸末期、熱海で起きたマグロ漁の利権をめぐる網元と漁民との漁業権紛争で、網元でありながら漁民の生活を守るために一揆の先頭に立ち、韮山代官所に直訴。その罪で捕らえられ、5年間の獄舎生活の後、八丈島に送られる途中、1863年に伊豆大島で35歳歳で死去したという。
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