
森田が唯一「残念」と振り返る出来事がある。平成7年6月のことだ。ニューヨークにあるコーネル大学の大学院でホテル経営学を終了した者のみに授与される学位MPS(ホテル経営専門修士号)の資格を得た時期。実家の月の栖 熱海聚楽ホテルから「大番頭が倒れる」の知らせが届いたのだ。
この資格を得れば、世界中のメジャーホテルのマネジメント部門の門戸が開く。森田もまたワイキキビーチが一望できるハワイの名門ホテルでキャリアを積む手はずになっていた。そんな折り、思わぬ知らせ。後ろ髪を引かれる思いで熱海に戻り、家業を手伝うことになった。
MPS=MBA(経営学修士号)。一般の市民にはピンとl来ないだろうが、これがどれだけ凄いことか。
筆者はちょうど一回り年齢が上だが、大学時代、「MBA」は憧れの域を出ず、まったく手の届かないところにあった。大きな語学の壁があり、お金もかかる。新聞社に勤めていた当時も医者や弁護士資格を持つ記者はいたが、「MBA」はとんと記憶にない。
それも東大をはるかに上回る「世界ランク8位」のコーネル大の大学院。そんな逸材が観光地熱海にいるのは天の配剤ともいえる。
森田はこのキャリアをひけらかすことはない。今回の選挙戦でも一切触れていない。27日にあった公開討論会の自己紹介で「これがトップセールスだ」とばかり、得意の英語でまくしたてていれば、おそらくそこで勝負はあったはず。が、こういう奇襲は彼のスポーツマンシップに反するらしい。
中学高校は静岡聖光学院に進んだ。熱海を離れたのはラグビー部に入るため。中学では全国大会、高校では東海4県に進出。早稲田大学に進学したのは文学部で社会学を学ぶとともにラグビーを続けるためだった。ポジションはフランカー。スクラムやモール、ラックに参加して体で相手陣を押し崩す役回り。ボールを保持して密集地のサイドを突破する役目も担う。攻守を兼ね備えた身体能力と運動量が求められるポジション。決してガリ勉タイプではない。
観光協会会長に就いて取り組んだのが、平成21年に始めた「熱海温泉玉手箱(オンたま)」。街歩きや伝統文化、自然、食などをテーマにした20のプログラムを繰り広げ、新たな街おこしを実験した。試したかったのは市と民間の協働作業。自民党員でもある森田は「協働」という言葉を多用することから左寄りの誤解を受けるが、協働とは市も民間も同じ目線の高さで対等の立場で力を合わせて働くことを意味する。これからの熱海に必要なのはこの「協働」ととらえているのだろう。
23年には協会会長の一方で早稲田大学の大学院に入学し、公共経営を学んだ。これは将来の市長を念頭にオンたまなどの実証データを検証解析し、処方箋を作るのが目的。ようやく全ての準備が整ったことで出馬に踏み切ったのである。
一部には「森田が市長になったら8年前の元の熱海に逆戻りする。税金が湯水のごとく浪費される」などと揶揄する声もあるが、彼にはラグビーで培った「準備の大切さ」と米留学で学んだグローバルスタンダードが備わっている。むしろ対極の人だ。
支援者の多くは、旅館の経営や観光協会ではグラウンドが狭すぎる。もっと大きなステージに立たせてみたい、と期待を寄せる人たちだ。そのポテンシャルは十二分に備えている。
(編集主幹・松本洋二)
敬称略=次回はさいとう栄編
【写真】選挙戦では熱弁をふるう森田氏も月の栖 熱海衆楽ホテルでは代表取締役の顔
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