
熱海市のMOA美術館で10月5日、企画展「信長とクアトロ・ラガッツィ 桃山の夢と幻+杉本博司と天正少年使節が見たヨーロッパ」が始まった。
2017年秋にニューヨークで開催された「Hiroshi Sugimoto:Gates of Paradise」で展覧された作品「クアトロ」を日本で初公開するもので、国の重要文化財を含む桃山時代の貴重な美術工芸品や現代美術作家・杉本浩史さんが天正遣欧少年使節ゆかりのイタリア各地で撮影した写真など約90点を展示している。
織田信長は1582年(天正10年)6月2日、天下統一を前にして本能寺で没したが、その4カ月前に九州のキリシタン大名(大友宗麟・大村純忠・有馬晴信)は名代として4人の遣欧少年使節(クアトロ・ラガッツィ )をローマ教皇のもとに派遣した。8年後に帰国した時、豊臣秀吉によって伴天連(ばてれん)追放令が出され、キリスト教の布教は禁止されていた。しかし、遣欧少年使節が請来(しょうらい)した西洋の知識や持ち帰ったグーテンベルグ印刷機はその後の日本文化に大きな影響を与えた。
その遣欧少年使節の足跡を、同美術館のリニューアル建築意匠を担当した杉本さんが訪ねて写真に収め、信長が収集した茶道具などとともに展示している。
杉本さんは2015年春、ヴィチェンツア(イタリア)のテアトロ・オリンピコ(最古の姿を留めるオペラ劇場)を訪れた際、劇場支配人から1枚のフレスコ画を紹介された。1585年の劇場開館の年に、遣欧少年使節がローマへ向かう際、立ち寄って歓迎を受けた場面を描いたものだった。
興味を抱いた杉本さんは、遣欧少年使節がポルトガル、スペインを経てイタリアに上陸したトスカーナ州のリボルノ、ピサ、フィレンツェ、シエナ、ローマ。そのローマで法王グレゴリウス13世に謁した後、さらに訪れたアッシジ、ベニス、ヴェローナ、ミラノに足を運び、彼らが見たであろうローマのパンテオン神殿、ラツィオ州の城館ヴィラファルネーゼの螺旋(らせん)階段、ピサの斜塔、フィレンツェ大聖堂、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の天国の門などを特別の許可を得て撮影した。
遣欧少年使節と同時代を生きた信長が所持していた茶道具の名品や自筆感状、聖フランシスコ・ザビエル像、世界図屏風、洋人奏楽図屏風、遣欧少年使節が持ち帰った「黄金の十字架」なども展示され、400年以上前の日欧の文化が多くの来館者を魅了している。関連企画として、27日は新作能「天正少年使節」の上演、11月3日は南蛮茶会を実施する。
(熱海ネット新聞・松本洋二)
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